2010年7月17日土曜日

夏を走る。

花小金井に小平から武蔵野市まで2キロちょっとの遊歩道があるのを思い出したのは金曜の勤務中のことだった。

土曜日の午後、蒸し暑さで目を覚まし、鏡に向かい、やはりがっかりする。
また吹き出物ができているのだ。ここのところずっと肌の調子が悪い。治ったと思ったそばからバトンタッチをするように次の吹き出物が現れる。調子が悪いなどと書けば格好はつくが、吹き出物というのは、レストランで出された食事の中に虫の死がいを見つける時のようななまなましさというか、絶対に無視できないリアルさを持っている。

だから、というわけでもないが走ることに決めた。先週からずっと体が走りたくてうずうずしていたのだ。肌も良くなるかもしれない。思えば一人暮らしを始める前、仕事を探す合間にときおりジムに通っていたとき以来まったく走っていなかった。

走れそうなハーパンを引っ張り出し、適当なTシャツに腕時計、家の鍵と千円札をポケットに入れ外に出る。
なかなか良い風が吹いている。18時を迎えようというのにまだ明るい。しっかりと入念なストレッチをしてから駅近くの遊歩道に向かって歩き出した。

まずはじめに目にとまったのは浴衣姿のお兄さん2人組みだった。とても似合っている。背は高くて短髪だが前髪は長い。大きなそでが細い腕をより際立たせていた。どこかで大きな祭りでもあるのだろうか。

次に目にとまったのがの中学生くらいの浴衣女子だった。明るい黄色に赤い花が描かれた年相応といった感じの意匠で、前方に友達を見つけたのか走り出し肩を叩く。友達は真っ赤な浴衣を着ていた。

これはもう祭りがあるに違いなかったが、どこであるのか、新宿で大きな花火大会でもあったか、その辺の情報には疎かったのだが、駅前に着くなり「あー」と声に出してしまった気がする。他でもない花小金井の夏祭りだったのだ。

駅前広場には行かずに遊歩道を目指す。明るいうちに走りたかった。
遊歩道に入り、適当に走り出す場所を決め、ジー・ショックのストップウォッチをスタートする。一呼吸置いてから走り出す。一瞬で世界が変わったのがわかった。

まず、すごい速さで景色が流れて行った。走るペースはゆっくりなのにもかかわらず、次々と風景を置き去りにしていくことができた。しかもそれは初めて見る風景だというのに。とても贅沢なことをしている気がした。次に気づいたのは「地面を蹴っている」という感覚だった。僕たちが生活しているのは、この地面の上であり、地球なのだと思った。そんな当たり前のことを走り出すまですっかり忘れてしまっていた。ジムのランニングマシンで走るのとはわけが違うのだ。

地球を蹴りながら走る。久しぶりに散歩に連れ出してもらった犬のように走る。着物姿のおばあさんや、学校帰りの女子高生や、祭りへ向かう家族連れを横目に走る。あらゆる風景を置き去りにして走る。方角は勘で武蔵野市方面に走った。

前方にもランナーがいた。走り慣れているのかペースが一定だった。僕はと言えば体に任せて走ってしまい、
少々ペースを上げ過ぎていた。前方のランナーが少し遊歩道を外れ、高台を走っていくのが見えた。それに倣い僕も高台へ上る。一気に景色が開けた。

夕日だ。桜並木の上を走ることができるその高台で夕日に気づいた。夕日は後ろにある。遠くに見える団地や高層マンションを真っ赤に染めていてまぶしい。風も吹いている。木が揺れるから音もする。名前の知らない鳥が飛んでいる(いや、きっと名前などはないのだろう)。こういうときに風景は嘘をつかない。ただそこにあってまどろっこしさがない。なにも押しつけてこないのですべてを受け入れようと思える。とにかく気持ちが良かった。

高台が終わり遊歩道に戻る。ジー・ショックは8分を示している。意外と走っている。老夫婦を追い抜き、10分を示したところでちょうど信号待ちになったので折り返す。合計で走るのは20分と決めていた。

20分。そういえばきのうのライブも20分だった。折り返し地点というなら、ちょうど銀河鉄道の夜を歌い終えたあたりか。
きのうのライブを回想しながら走った。妹が来ていた。音響の人が優しかった。大事なことはいつもステージで言っているはずだからここに書くことは相変わらずあまりない。

戻る道でも高台を走った。夕日は色をさらに濃くしていて、オレンジ色のグラデーションが派手さを増していたが、やはり嘘はついていなかった。夕日に向かって走ることができた。

残り2分がやたらと長い。なかなか数字が進まない。それでも歩くのだけはやめようと思っていたから、何度も時計を見る羽目になった。「ライブでいうなら最後の1バース」という言葉をなぜか何度も反芻した。

走り終えるとさすがにふらふらした。ペットボトルを片手に駅前広場まで歩くとさっきよりもさらに人でごった返していた。きっと小平や田無からも人が集まっているのだろう。こんな大きな祭りがあるとは露も知らなかった。

ちょうど和太鼓の演奏が始まるというので座って見ることにした。たくましい腕が最初のばちを振り下ろすと、一瞬観客は水を打ったように静まり、和太鼓独特の分厚い音が地面に響き、続いて拍手が沸き起こった。明らかに夏の到来を告げていた。

迫力の和太鼓演奏が終わり、立ち上がり、さて夕食を買って帰ろうかとまわりを見回したときだった。
まだ手をつなげない中学生カップル、路上にシートを引いてお酒を飲む家族たち、ギャル、露店の客引き、これほどまでに人がいるというのに僕は、

誰一人としてこの街に知り合いがいない

ということに気づいてしまったのだ。それは本当に妙な感覚だった。知らぬ間に祭りが始まり、いつの間にか夏が来ていた。僕は一体どこに住んでいるのだろうというか、いや花小金井に住んでいるのは確かなのだけれど、それはどこまでも不確かでつかみどころのない事実だった。

家に帰ってからも、どこか遠くで和太鼓や花火の音が鳴っていた。もう誰とも約束はなかった。予定も一つもない。今こうして今日のことを日記に書いている。23回目の夏が来たのだ。



0 件のコメント:

コメントを投稿